昭和22年 3月 | 日本電信電話公社(現、NTT)の工事請負業者として資本金100万円にて、名古屋市中区丸の内1の10の22に於いて開業。 |
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昭和24年 1月 | 金融機関をねらう凶悪犯罪を目のあたりにして、110番・119番への確実に通報する機器開発に着手。 |
昭和27年 7月 | 盗難火災非常通報機を完成(特許1実用新案2件を含む) |
昭和28年 2月 | 日本電信電話公社より許可され、財団法人 電気通信共済会と販売、施工、保守等の協力体制を確立し普及に努める。 |
昭和45年 4月 | 学校の宿日直制度廃止に伴い、各市町村より非常通報システムとして脚光を浴びる。 |
昭和46年 6月 | 資本金1,000万円に増資。 |
昭和47年 12月 | 資本金1,500万円に増資。 |
昭和48年 9月 | 現在地(名古屋市中川区富川町5丁目2番の6)に本社社屋を新築完成。 |
昭和52年 11月 | 資本金2,000万円に増資。 |
昭和54年 4月 | 金融凶悪事件(昭和54年1月26日 三菱銀行北畠支店 立てこもり事件)発生で、店内防犯カメラが注目され納入を開始。 |
昭和55年 7月 | 保守遂行に於いて、IC化製品の雷障害の多大さに抜本対策を研究調査し、併せて、電子部品取扱いを模索。 |
昭和55年 12月 | 名古屋ナショナル通信工業(株)(現、パナソニックシステムソリューションズジャパン(株))を通じ、松下社製品の販売協力提携を結ぶ。 |
昭和56年 4月 | 金融機関の無人化店舗にセキュリティーシステムとして、監視カメラ納入。 |
昭和56年 7月 | 三菱鉱業セメント(株)(現、三菱マテリアル(株))とセラミックス電子部品の特約店契約を結ぶ。 |
昭和57年 6月 | 電子部を創設。 |
平成元年 5月 | 三菱鉱業セメント(株)(現、三菱マテリアル(株))傍系会社開発による省電力電磁石に取り組む。 |
平成4年 6月 | 金融機関のキャッシュサービスの時間延長に伴い、サービス向上と安全対策より、画像伝送システムの納入。 |
平成5年 8月 | 東邦亜鉛(株)と販売協力体制を調え顧客に納入を開始。 |
平成5年 10月 | LPガスメーター用電磁弁(三菱マテリアル製品)の顧客納入を開始。 |
平成6年 9月 | (株)啓愛社エヌエムビーを通じたミネベア(株)製品の販売協力体制を調え顧客に納入を開始。 |
平成7年 10月 | 京セラ電子機器(株)(現、京セラコミュニケーションシステム(株))と提携し、東海ポケット電話(株)のPHS携帯電話事業に参入する。 |
平成9年 7月 | 「環境」をテーマとした市場調査のため、東海三県を隈なく回りながら協賛メーカーの協力を得た実験等を活発に行う。 |
平成15年 11月 | 唐橋 典雄 代表取締役社長 就任 |
平成19年 12月 | 愛知県より「自動車エコ事業所」として認定をうける。 |
平成29年 4月 | カウンタ機能付き「ライトレ」の商標登録を取得し、販売開始する。 |
平成29年 11月 | 唐橋 典雄 取締役会長 就任 |
平成29年 11月 | 加藤 髙也 代表取締役社長 就任 |
令和元年 11月 | 唐橋 典雄 取締役会長を辞任し、非常勤取締役に就任。 |
令和6年 7月 | 令和6年7月11日に中日電機工業100%出資による子会社、中日介護事業株式会社を設立し、新規福祉事業を開始する。 |
令和6年 12月 | 令和6年12月1日にデイサービス事業のブルーミングケア名古屋茶屋店を開設する。 |